遠江国一宮小国神社のご神木から生まれた御神札まつり箱「神杉の木霊」

遠江国一宮小國神社の
ご神域「鎮守の杜」

約三十数万坪におよぶ荘厳なご神域には、樹齢数百年を経た丈余の杉が欝蒼として繁り、宮川の清流と風声が相和した自然の力強い生命力が満ち溢れています。

「鎮守の杜」に育つ杉は、小國神社の祝詞において「神杉」と表されるように、神々の宿るご神木として今に護り伝えられてきました。
御神札まつり箱「神杉の木霊」は、この神杉を職人が一点一点丹精込めて奉製いたしました。様々な住環境に馴染み、壁に大きな穴を開けずに壁掛けができます。

大切な御神札を護るまつり箱として、ご家庭の皆様のお傍でおまつりください。

家庭での「祈り」
生活の中に「感謝」を伝える「祈りの場」を

遠江国一宮小國神社について

鎮斎せられること一千有余年

創祀は神代と伝えられ上代の事で詳らかではありませんが、延宝八年(一六八〇)の社記によると、人皇第二十九代欽明天皇の御代十六年(五五五)二月一八日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられました。後に、都より勅使が差遺せられ、山麓約六kmの現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられました。

それ以来、年々奉幣に預り勅使が下向され、文武天皇大宝元年(七〇一)春十八日に勅使奉幣の際、特に十二段の舞楽を奉奏されました。 延喜七年(九〇七)の延喜式では式内社に列せられ、中世には武将をはじめ朝野の崇敬が極めて篤く近世に至りました。

元亀三年(一五七二)の戦では、徳川家は御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉り戦勝を祈願した後、社殿を全て焼失しました。天平三年(一五七五)に勝利を得た徳川公は、御本殿の造営、拝殿・楼門を再建され、更に社領五百九十石の朱印を奉り、以降代々の徳川将軍家より、社殿の改造・修復料を寄進されました。

明治六年六月十三日に国幣小社に列せられ、明治十五年三月に再度の火災により御本殿以下建造物などことごとく失いましたが、明治十九年に復興され現在に至っております。

平成十七年には御鎮座一四五〇年祭が斎行され、「遠江國一宮さま」として崇敬され親しまれております。


GO TOP